(癒)『八日目』

『トト・ザ・ヒーロー』のジャコ・ヴァン・ドルマル監督が、5年ぶりに
メガホンを握り、素晴らしい物語を提供してくれました。


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ダウン症を初めとして、そうした障害を持つ人と、健常者の交流物語は別に
目新しいものではないと、そう思っていた。が、その予想は見事に裏切られた。

この映画で面白いのは、二人の設定がまるで他人同士であると言う事である。
バリー・レヴィンソンの『レインマン』にしても、『フォレスト・ガンプ』にしても、
その道中につき合うからには、兄弟であったり、かつての上官だったりと言う
設定があった。そちらの方が話しを繋げるのに適したやり方だからだ。

パスカル・デュケンヌ演じるジョルジュと、ダニエル・オートゥユ演じるアリーが
何故接点を持ったのか?この接点の持たせ方が非常に上手い。
ジョルジュは母を捜し求めて、黒犬と共に施設を抜け出す。どちらの方向に
向かうかは道路に示された矢印が教えてくれた。

片や、アリーは久しぶりに自分を訪問してくれた娘と再会が果たせず、
ぼんやりと「死」を意識しながら雨の夜に運転を行なっていた。

夜道で黒犬をはねたことにより、「仕方なく」アリーは、ジョルジュの母親探し
の旅に同行することになるのだが、その道中でのエピソードがどれも珠玉の
出来栄えなのだ。

ジャコ・ヴァン・ドルマル監督は、『トト・ザ・ヒーロー』でも、主役のトマにきっ

りと「落としまえ」を着けさせていたが、この映画の中でもその「落としまえ」は、
しっかりとジョルジュに着けさせている。
アリーを幸せにした。憧れだった彼女と一晩過ごせた。それだけで満足だった。
それらを確認したジョルジュの顔が素敵であり、またそれが故に悔いることは
無かったのだろう。

この所が非常に好きな理由の一つだ。
健常者でも、障害者でも、人生の「落としまえ」は着ける権利があるのだ。

しかし、彼の「死」は、厳密に言えば、我々が想像している「死」ではない。
それを具体的に示しているのが、アリーの一時的なドロップ・アウトと、家族
との再会であり、象徴的に言うのならば、テントウムシの存在である。
18世紀末からの、アール・ヌーボーの世界では、昆虫とりわけセミやトンボ
は「死」と「再生」のシンボルとされて、多くの小物に使われてきました。
何故かと言えば、そうした昆虫は幼虫から蛹を経て、成虫へと変貌します。
彼らは、そうした姿に「再生」を見出したのです。

地上には、アリーが子供達と戯れる姿。それを確認したかの様にテントウムシ
が天上へと羽ばたいていく。

「神は、八日目にジョルジュを遣わせた」

映画の最後に語られる言葉です。
僕の隣にも、二人目のジョルジュはいるのかもしれない。だが、僕の愚かさ
高慢さ故にそれに気付いていないかもしれない。


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大倉 里司(HCD05016@niftyserve.or.jp)

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