(手)『ローサのぬくもり』(『アローン〜ひとり』)

99年に東京国際映画祭で観たときの感想がありますので、細かい筋は割愛
させて頂きます。(第1回目の感想に行く→

 

 

 

 

 

(以下、内容に大幅に触れております)

 

 

 

 

 

 

二回目を観る機会があったので鑑賞致しましたが、これほど迄に誠実で、嫌な
意味でのケレンが無く、且つ感想が書き難い映画だったのかぁ!(笑)と少々驚
いています。感想を書き難いなぁ……と思い一回目の感想を読み直すと、まあ
良く書けていること(爆)自分の中で「何か」が変わったのかなぁ……と思い
返す日々。

今回感じたのは「手」の写し方が独特だなぁ……と思ったのですよね。「目は
口ほどにものを言い」との諺があるんですが、「目」には気を配っても中々
「手」迄には注意を払わないものなんです……少なくても映画の中では……。

ところが……この映画を観ると、「手」の持つメッセージが如何に雄弁かを物
語っているんです。娘のマリアと母のローサがバスに乗り込む場面。30代の
夫婦が(男性が御髭面で中々可愛い(^^))奥方からスプーンに載せたデザート
を「アーンして」と言う風に口に差し出される。旦那さまは、イヤイヤと言う
感じでソッポを向く(これがまた可愛い(^^))ところが、「手」はお互いに
堅く握りあって愛撫すらしている感じなんですねぇ。
で……もう一件のケースは、マリアが子供を中絶しに福祉センターに行く場面。
待合室で母と10代の娘らしき二人が対面に座っている。娘が母に「手」を差
し伸べると母はそれを拒絶して「手」を振り払うシーン。普通だったら、二人
の顔だけ見れば判るのですから「手」迄は描写として入れないんです。

最初のケースでは、「手」が愛情の証であり、二番目のケースでは「拒絶」の
しるしとして「手」を使って描写しています。

それで見ると、マリアも「手」に原因不明の怪我をする……これは何かの象徴
では無いか?と思ったのです。清掃作業中に起こった労災は察しが付くのです
が、グラスで「手」を切ったのか?清掃用具で「手」を切ったのか?それとも、
二人の同僚に怒られて剃刀で切りかかられたのか?(『殺しのドレス』みたい(^^;;)
これが判らない割には……「手」の治療を通じて二人の人に介抱されるのが、
忘れ難い印象を残すんですね。ひとりは母ローサで「ひとつだけ変えたいこと
があった」と重大なセリフの前にマリアの「手」の治療としてアロエ液を塗っ
ている。そして、もうひとりがバーのマスター(ミゲル・アルチバルさま)が
酒庫で彼女の「手」を消毒している……で、マリアは彼の目を盗んで酒瓶と現金
をくすねるシーン。
そして、このふたりこそが泥酔したマリアの介抱をするふたりなんです。
だからどうした?と言う明確さが無いんですが……何らかの意味がある気がし
て為りません。

そして、今回感心したのは、父(パコ・デ・オスカさま)と医者(アントニオ
・ペレス=デシェントさま)のふたりの描き方でして、まず医者は父を我侭な
病人だと言い(確かにそうだ!(笑))ローサに「母性」を見出す象徴として
使っていますね。言わば『オール・アバウト・マイ・マザー』でして……自分
もこの医者同様にローサに実母を見出します。
そして、父は、初見では最初は母のことをどうでも良い存在だとばかり思って
いたんです「お前みたいなブスでバカ女」と口汚く罵っているのですから。
ところが……こう言うのは「ふたりだけ」の時だけなんです。(驚!)
娘のマリアがかいがいしく世話をしても、「武士は食わねど高楊枝」では無い
ですが絶対に口にしませんし……かと言って、娘のことがそんなには嫌いでも
なさそうなんです。眠りこけた娘をじっと見詰めている眼が良いんですね。
ところが……起きると露骨にイヤな顔をする……捻くれた爺さんです(笑)
で……妻のマリアに対しては文句を付けつつも、彼女なしでは生きられない
哀しさをもそれとなく感じさせているんですね。
ですから「幸せだったか?」と突拍子も無く聞くわけでして……一種の理解さ
れない照れなんです。

そうしたひとびとを暖かく包み込む眼差しには、同年代としては驚嘆するのみ。
自分も歳を取りました……。

「大河浪漫を愛する会」大倉 里司
(2001年3月18日 シネ・ラ・セットにて鑑賞)

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