(画)『アルテミシア』

皆様、御機嫌如何でせうか?わたくし、マダム・DEEPで御座ひます。

美術史に初めて名前を記したバロックの閨秀画家、アルテミジア・ジェ
ンティスキ様の伝記映画『アルテミシア』を先日鑑賞致しました。

主演を演じられたヴァレンティナ・チェルヴィ様の比類無き「感性」と、
監督でゐらつしゃるアニエス・メルレ様の「技術」に因りまして、中々
高水準な映画として成立してゐると思ひました。

テンションが、ジェーン・カンピオン様の傑作『ピアノ・レッスン』
の様に最後迄持続しなかつたのが残念至極で御座ひました。(涙)
しかし、製作者の想ひが如実に伝つてくるのは疑ひの無ひ事柄で御座ひ
ます。

この映画は、1610年の修道院から始まります。そこで画家としての
才能を見出され、修道院を出て行くアルテミジア〜此処で、Artemisia
のクレジット挿入。気合の固まりですわ。もふ、わたくし感じてしまひ
ましたわよ。

とりわけこの時代でもさふなのでせうが、女性が社会に進出すると言ふ
のは至難の技で御座ひました。
幸ひに致しまして、後に英国の宮廷画家となる父、オラツィオ・ジェン
ティスキ様の推薦と、彼女自身が持つてゐた「画力」と、彼女が生まれ
つき備へてゐた「勝気」な性格によつて名を残すことになりました。

何故、女性が画家として登場することが出来なかつたかと申せば、当時
のギルド制度と、それに至る迄の教育を受けることが出来なかつたから
でせう。幸ひにして、彼女の場合、父親の薫陶を受け、読み書きは不自
由であつたものの、若ひ頃に各ギャラリーを観て廻る機会があつたと言
ふことで御座ひます。
これは、かなり重要な要素を占めてゐると考へますの。一番感受性が豊
かな時期に優れたものを鑑賞する機会があると言ふことは、「感性」を
育む上で一番大切な事では無ひか?とわたくし、不遜にもさう思ひます
のよ。

わたくしが最も強く「官能」を感じましたのが、砂浜で交合してゐる男
女が居りまして、その「痕」がくつきりと砂に刻みこまれておりますの。
それに合せて寝そべるアルテミジア。「性」に関する淡ひ期待が如実に
出てゐるシインだと感じましたわ。

さふした彼女が、父の友人であるアゴスティーノ・タッシ様に弟子入り
をして男と女の仲に為つてしまひますの。
それを知つた父は、娘の画家としての名誉を守る為に彼を強姦罪で訴へ
るのでせうが………と言ふ物語。

史実に因れば、1612年のこの時の公判資料は現在残つておらず、
供述書だけが遺されており、これを元に再現したものと考へますの。

ただ、史実とは違ふ個所は在るものの、敢へて挿入したと思われる興味
深ひシインがありましたので書ひておきますわね。
それは、裁判が終了し、父親と世間に失望した彼女が、家を離れる際に
もふ既に『絵画芸術の寓意としての自画像』が既に完成されてゐるので
すわ。

この作品でせうが、1630年代に描かれた作品とされておりませうが、
今後画家として生きて行くしか無かつた彼女の一生を象徴するかの様な
優れた暗示でせう。

最後に感心しましたのが、アルテミジア様を演じたヴァレンティナ・チ
ェルヴィ様の役作りの方法でしたの。彼女は最初は後世の史家が書かれ
た伝記を貪り読んでゐた様でせうが、ある時期からそれを一切止めてア
ルテミジア・ジェンティスキ様の描かれた「絵」のみを鑑賞し、理解を
深めたさうですが、此処に深ひ「感性」を見出すのでせう。

伊達に『ある貴婦人の肖像』で、ジョン・マルコヴィッチ様と張り合つ
ただけでは無かつたのですわ。(娘のパンジー役として出演)

とりわけ女性の方には、絶対に観て頂きたひ一本として強く推薦させて
頂きます。

古典的な素材を扱ひそれを尊重しながらも、現代の眼差しで鋭くジェン
ダーとしての「性」を切り取つてゐるところを評価致しますわ。

『裏社交界の徒花』 マダム・DEEP(HCD05016@nifty-serve.or.jp)

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