(肉)『地獄の黙示録〜特別完全版』

時はベトナム戦争真っ最中の1968年。ベトナムとカンボジアとの国境に
「王国」を作ってしまった元特殊部隊のカーツ大佐。その大佐を暗殺すべく、
特殊部隊のウィラード大尉(マーティン・シーンさま)が、河を上っていく
一大絵巻。

御話のほうは、皆様良く御存知でしょうからこれ以上は割愛するとして、
オリジナル版を含めて観直したのは10年ぶり位ですんで、大分忘れているか
なぁ〜と不安でしたが、かなりの部分を覚えておりまして、どこが附加され
た所かが判りまして一安心。(^^)>じゃ……ないんです(^^;;

赤瀬川 原平さまは、その著『ルーブル美術館の楽しみ方』でこんな一節を書い
ておられます。これが余りにもピッタリと嵌まる表現なんで引用をば……。

「とにかく
ルーヴル美術館に一日行っただけで、それは肉の文化だと実感する。
これはおそらく肉食の白人にはわからないことであり、お茶漬民族の日本人だ
からこその実感かもしれない」(同書 11頁より引用)

政治的&歴史的考察は置いておいて、こと「美術史」のみに光を当てるとそう
でして、日本画の場合「技法」が昔からそんなに変わっていないんです。
ところが西洋画の場合、テンペラ画から油絵が発生し……日々変化しているの
ですね。

余談が過ぎましたが、この映画に関しては、ウジェーヌ・ドラクロア(1798-
1863)以外の何者でも無し!
と言う結論に至った訳でして至るところに彼の絵からの引用が散りばめられて
おります。

まず……ウィラード大尉が河を上っているところで、船から下りて虎と出くわ
しますが、虎に鍵が秘められておりまして(^^;;
余り「虎」を画題に描いた画家って、そうそう居ないんですよ。「馬」だった
ら同時代のジェリコーの御家芸ですが、ドラクロアさんは動物専門の彫刻家
アントワーヌ・ルイ・パリーと良く動物園に出かけ『野生の馬を襲う虎』等の
(1826-29年 パリ・ルーヴル美術館蔵)作品を残しております。

「野生」の魔性と言う象徴的意味合いを込めてコッポラは、虎を出したと思う
のですが、別に虎じゃなくても良かった気がするんです。
で……「船を離れるな」との台詞と米軍最後の基地であるところに見られるの
は、官展でのデビュー作
『ダンテの小舟』(地獄のダンテとウェルギウス)
1822年(パリ・ルーヴル美術館蔵)これが地獄の亡者たちが舟に上がろうと這い上
がってくる……あの構図。

そして、カーツ大佐の「王国」に来たときにやたらと生首が転がっていたり、
死体が無造作に置かれているように見えますが、自分には
『キオス島の虐殺』
(1824年)右下に横たわっている母親らしき姿だったり、
『サルダナパールの死』
(1827-1828年)でのあの乱雑感と、一人白い衣を纏って踏ん反り返っている王
の姿とダブって仕方が無いんですねぇ。

これ以外にも、
ギュスタヴ・モローの『オルフェウス』からの引用があったり…
数々の近代名画の世界が現出するのですが、ワーグナーを掛ながら、騎兵隊の
ヘリが舞うところなんかは、ホント肉食人種の発想。
キルゴア大佐(ロバート・デュバルさま)は、T・ボーンステーキがあれば
御満悦だったようで、騎兵隊=アラモ砦と重なるんですねぇ(^^;;

アメリカのみならず、南部に入植した仏蘭西……インドシナを支配した仏蘭西
のイメージなんでしょう。

ホントに、一日だけでは回り切れない大美術館に行った気分でございます。
これを実写でやったところが二十世紀米国の力でしょう……それは、今世紀に
入ってから世界の名画が米国に流入した時期でもあります。

さて、今世紀はどの国が覇権を握り、幾数多の美術品が流入するので御座いま
しょうか?

「大河浪漫を愛する会」大倉 里司
(2001年10月29日 東京国際映画祭 特別招待作品 オーチャード・ホールにて鑑賞)

BGM:リヒャルト・ワーグナー作『ニーベルングの指輪』より『ワルキューレの騎行』
BGM:OST:『レッド・ヴァイオリン』より『修道院』

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