(種)『バッド・エデュケーション』

舞台は1980年のマドリード。新進気鋭の青年映画監督エンリケ(フェ
レ・マルチネスさま)の元に、見知らぬ美青年(ガエル・ガルシア・ベル
ナルさま(*^^*)ポッ)が訪ねてきた。彼の名はイグナシオ。エンリケとは
かつて、寄宿舎学校時代淡い初恋を抱いた関係だった。
イグナシオは、アンヘルという芸名の舞台俳優で映画の仕事を望んでおり、
エンリケにイグナシオは自作の脚本を渡し、もし映画化されたら出演した
いと言い残して去っていった。
脚本の題名は「訪れ」。それを読むにつれてエンリケは、寄宿舎時代に
起きた「ある事件」の真相に迫っていくことになる……。

ペドロ・アルモドヴァルの原点回帰作にして、最高傑作!
映画自体がミステリー仕立ての為、この感想でも序々に展開を明らかにし
て行きますが、この映画を今撮らなければ為らなかったのか?或いは、今
だから撮れるのか?と言う秘密も終盤謎が解けて行く内に段々と判って
行きます。
そして、「ある事件」が生んだ種から発した芽が地面を引き裂いて……
現在に至る。亀裂が生じている様に見えて、そこには紛れもない「絆」
があったのです……。

何だかまどろっこしいでしょ?自分でも苛々するんです。何故中々本題に
入らないか?と言えば非常に「後を引く」作品だからなんですねぇ。

物語を先に進めましょう。

それは遥か昔に遡る……少年時代のイグナシオ(ナチョ・ペレスエンリケ
くん)は聖歌隊に属し、寄宿学校の教師であるマノロ神父(ダニエル・
ヒメネスさま)の一番のお気に入りの生徒でした。イグナシオはこの学校
でエンリケ少年(ラウル・ガルシア・フォルネイロくん)に出会い身も心
も惹きつけられてしまう。
しかし、マノロ神父がイグナシオを可愛がっていたのは邪な欲望があった
為。決して対等な愛情ではありませんでした。更に、マノロは二人の関係
を邪推し、ストーカーの如く付け回し密会の現場を押さえてしまう。
エンリケを救うために、イグナシオはマノロ神父に誓う「エンリケのた
めなら僕が……」しかし、背教者マノロは、イグナシオの願い空しく、
エンリケの退学処分にしてしまう。この時、イグナシオ少年の心に憎悪と
復讐と言う種が芽生えた……。


 


ここからは「キモ」の部分。出来れば映画を観てから読んでください。

 

 

 

 

 

 



脚本を読み終んだエンリケは、直ぐにイグナシオに映画化を約束。急速に
接近し同居生活を始める二人……
ところがイザ暮らして見るとエンリケには、どうしても16年前のイグナ
シオと目の前にいるイグナシオが同一人物だとは思なかった……。
本来彼が好きだった曲に反応しない……等の不可思議な事が多すぎる。
その謎を解くため、イグナシオの故郷に向かったエンリケは衝撃的な事実
を知る事になる……イグナシオは死んでいたと言う事実。そして、イグナ
シオを名乗っている男は、イグナシオの弟ホアンだったと言う事……そし
て、死後殆どのものを彼が焼却処分したが、唯一残っていたイグナシオの
手紙が。
そこにはこう書かれていた「彼らに復讐するときが来た。これは僕たちの
物語だ」と……

数日後、再びエンリケの前に姿を現したホアンは、主役のサハラ役のオー
ディションを受けさせてほしいと懇願する……。それと同時に彼を愛人に
して映画『訪れ』の撮影が始った……。

ここで、我々観客は、脚本を盾にマノロ神父を強請るイグナシオが、実は
劇中劇であった事が判明します。そして……その撮影現場にベレングエル
と名乗る男(ルイス・オマルさま)の訪問を受ける。そこで全ての真相が
明らかになるのでありました♪




そして、最後の最後で明らかになる驚愕の真実とは?

 

 

 

 


 



 

 

 



実は、ベレングエルとはかつてのマノロ神父。そして「訪れ」は現実を極
めて忠実になぞった「告発本」であった事が判明。マノロ神父の性的虐待
の影響で性同一性障害兼麻薬中毒者になってしまったイグナシオは、彼を
強請って性転換する為の資金100万ドルが必要だった。当初は鼻であし
らう予定の彼だったが……ホアンと出会ってしまったのが運の尽き。
次第に高まる欲望を抑えきれない彼は、二人の共通の厄介者であった
イグナシオを葬る計画を実行に移し……イグナシオに成りすましたホアン
がアンヘルのもとを訪れた次第。

全部書かなくても良いじゃないか?と読まれた方は思われるかも知れませ
んが、この最後の部分にこそ、自分にとっては大駄作であっても、何故か
アカデミー外国語映画賞を受賞した『オール・アバウト・マイ・マザー』
そして、スペイン語映画にも係わらず、アカデミー最優秀オリジナル脚本
賞を受賞した『トーク・トゥ・ハー』を撮って名声を獲得した現在でなけ
れば今回の映画を撮れない鍵が潜んでいる気がしてなりません。

まず、アルモドヴァル映画につきものの「女性」の存在が、今回皆無に
等しいんです。殊に前回の『トーク・トゥ・ハー』の場合に顕著なのですが

「無理して撮っているんじゃないの?」と言う感じが付き纏ったのも事実
でして、「美の具現者」である「女神」を置いて何だか建前で撮っている
感じがしていたんです。(あくまで狭量な自分の感想)

ところが、今回は「一般ウケ」殊にストレートの男性観客から観たら嘔吐
しかねない「生の性」を描いています。此処まで描ききるには、監督が
自分で同性愛者であることをカミングアウトしている事と「名声の確立」
この二つがどうしても必要なんです。

「生の性」を象徴するのが、劇中劇で描かれたサハラとエンリケの儚く、
またストレートの男性から観たら悪夢としか思え無そうな逆レイプ(?)
シーン。
あのサハラの手の動き……そして、口が疲れちゃった……は生の台詞!!

イグナシオ=ホアンとエンリケのSEXシーンだったら、まだ許容範囲内
でしょう。事実……以前の『欲望の法則』でもまあ、許容内の同性愛シーン
がありましたから……

ところがです。今回は完敗です……と言うか、アルモドヴァルは思い切り腸
(ハラワタ)を出しています。ホアンに夢中になったかつてのマノロ神父は、
ビデオカメラで二人の性交をホアンに撮らせている。「下半身と顔は同時に
撮らないでくれ……」と懇願する中年男。

恥ずかしい話ですが、実際に似たような事は自分もした事があります。だか
ら尋常じゃないリアリティを感じてしまうんです。中年男でもはや神父でも
「父」でもなくなった彼には、自分には魅力が無いことは百も承知。
ホアンに利用されている事は内心では判っていても、これを逃したくない
せめてフィルムの中だけでも夢を留めておきたいと願う心情。歪んでいる事は
百も承知でしょうが、偽りの無い真実。
だから……「ビデオカメラの映像をくれ」とホアンに懇願。
ところが、美しさと若さが同居した者には、傲慢と言う言葉が良く似合います。
ケンもホロロ……そして、証拠隠滅の為、実の兄の持ち物を全て焼却。
まあ……ホアンの気持ちも判らぬではありません。確かにあんな田舎町で変貌
を遂げた兄に付き合わされて、将来が見えない生活だったら……そして、意外
なチャンスと美貌が備わっていたら……彼の事をエンリケの如くは責められな
いでしょう。

「美」と「若さ」は二つ備わると残酷になりますねぇ……そして、最後の最後
それぞれの登場人物の末路が説明されるのですが、重要な事は、これらの「事件」
は全て表沙汰にならず、そしてそれが故に「法的」には誰も罰せられていない
と言う点。ところが……それぞれに自分の行った「行為」に対しての明暗が示さ
れている所でこの映画は終わります。

イグナシオがエンリケに向かって書こうとした最後の言葉「やっとこれで……」
この一言がずっと後を引いて今日に至る次第です。

一度蒔かれた種が、地面を割って出来たひび割れ……ですが、この一行の為に
雨が降り、地面を濡らし地固まり、種は成長して一輪の花を咲かせたとでも申し
ましょうか……たとえ、それが実を付けない仇花であったとしても花には変わり
はありません。

初代「大河浪漫を愛する会」大倉 里司
(2005年4月20日 銀座テアトルシネマにて鑑賞)

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