(仏)『ボンベイ』

同じ映画を二度観ると、前には気付かなかった欠点とか、逆に長所が
際立つものですが、これから御紹介する『ボンベイ』もそうした1本でした。

筋立ての方は、インド南部のとある村でヒンドゥ教徒のセーカル(アラビン
ドスワーミ様)と同じ村に住むイスラム教徒のシーラ・バヌー(マニーシャ・
コイララ御嬢様)が出会い、セーカルはバヌーに一目惚れしてしまう……。
ところが、「隣人」としては上手く行っていた両家の関係が「結婚」となると
他神教のヒンドゥー教と一神教のイスラム教が合う訳は無く、二人は大都
会ボンベイに駆け落ち……

此処までの展開は、印度のマサラムービーでは、本当に「ありふれた設定」。

やがて、六年の月日が流れ、二人の間には双子が出来、初孫の誕生
を切っ掛けに両家が和解しようとしている最中……ヒンドゥ過激派による
モスク破壊により……大都会ボンベイに流血の嵐が巻き起こると言う
展開です。

以前観たときは、前半と後半がまるで違う感を受けたのですが、今回
ビデオにて再鑑賞してみると……随分と後半に向けての伏線が張って
あることに驚きます。

結婚を反対されたセーカルが自らの掌を切り、バヌーの腕に刃をあて
る……そこに自らの掌を重ねあわせて「これでも、血が交わらないと
言うのか……」と言う描写には説得力がありますし、これが後半を貫く
一本の太い線になってゆくのです。

あと……ヒンドゥ教のセーカルが登場する場面では、印度の伝承歌謡
が用いられておりますし、片やバヌーが登場する場面は、イスラム様式
の建物の前で音楽もアラビックなものを使っており、現実の事件を背景
にしただけあり、気の遣いようは大変なものです。

ハッキリ言ってマニラトナム監督の演出は荒いです。(^^ゞ
一番欠点が目立たない作品ではありますが、それでも二度観てしまうと
随所に説明不足のすっ飛ばし(本当に、この監督の悪い癖なんです)
が見られます。でも……それでも、後半は涙無くしては見られません。

それは、演出の下手さを補って余りある「観てくれ!」と言う「情念」が、
画面から迸っているのを感じるからなのです……。

これを補強しているのが、A.R.ラフマーン様に因る見事なスコア。
これは褒めても褒め足りないものがあります。一つ一つの「歌」には
それぞれの意味があり、それが映画のメッセージ性を強く打ち出せて
いることに成功しているんですね。

とりわけ……「これは母なる国」の中にある……仏陀が生まれた聖
なる国に仏陀は何故居ない……の部分は、何度聞いていても、胸が
熱くなります……。

暴動の渦中が覚めやらぬ時点で撮った故、この映画の撮影中には、
マニラトナム監督の元には数々の脅迫状が舞い込んだと聞きます。

そうした最中に撮り上げた、この『ボンベイ』は、絵画で言えばドラク
ロアの『民衆を導く自由の女神』、映画で言えば、『アンダーグラウンド』
と比すべき作品であるでしょう。

出来の荒さが、「想い」に因って見事にクリアされた「逸品」だと感じました。

「大河浪漫を愛する会」 大倉 里司(HCD05016@nifty.ne.jp)
(4月25日ビデオにて鑑賞)

BGM:OST『ボンベイ』より『ボンベイ〜メインテーマ』

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