(罰)『エル・マール〜海と殉教』+『パンタロン』

短編小説について、確かアメリカのモーパッサンと謳われたO・ヘンリーさま
がこんなことを言っています。「短編小説と言うものは、切り口をどうやって
見せるかが勝負だ」と………

今回『エル・マール〜海と殉教』の前に上映された短編の『パンタロン』で殊
に強く感じたのはそれでして僅か4分の映画なれど、切り口は鮮烈。
メッセージは意味深と言う短編映画の白眉と言うべき秀逸な内容でした。
アナ・マルティネス監督は、今後要チェックの一人です。

さて、本題の『エル・マール〜海と殉教』

時は、スペイン市民戦争下。自警団に殺された父の姿を目撃した少年は、共に
目撃した一人の少年と一人の少女と共に洞窟に入り、父を殺した男の息子を殺
し、やがて、その少年も投身自殺を図る。そこに居合わせた二人の少年と一人
の少女が10年後再会したのは、とある結核療養の為のサナトリウムだった……
幼かった少女フランチェスカは、修道女となり、病人を介護することで、「あ
の時の風景」を追い払おうとし、新しく入所したラマロは、女遊びを誇ってい
たが、とある男に囲われている身……そして、ラマロに対して友情ではなく
「愛情」を感じてしまうトゥールは、神の罰を怖れ……自らを鞭打つ……
それぞれに、「あの日の光景」故に人生を狂わされた3人が再会した時、悲劇
が待ちうけているのでありました……

これが大まかな筋なんですが、これを読んで『永遠の仔』を思い出した人も数
多いと思います。ラマロは、知らず知らずのうちに「他者」に暴力衝動をぶつ
けてしまう……それは、幼少期から「男」の性の玩具にされていたからかも知
れない……。トゥールは、自罰的な性格を形成し……頼るものは「聖書」のみ。
カソリックならば「懺悔」と言う道があるのに、自ら「修道僧」並みの規律で
自分を縛る……が、因りによって「同性愛」しかも親友のラマロに堪え難い欲
望を押さえることが出来ない……そして、これも神からの試練だと思っている。
唯一の女性のフランチェスカは、「他人に奉仕」することで自らを救済してい
る自覚がある女性。3人の中では一番安定していますが、それでも「地獄」を
抱えていることは言うまでもない……。

2時間あっても良かった映画なんです。この映画の弱点は、少年時代の3人の
性格設定を行なわなかったことなんですね。それぞれの気質・性格が「あの日
の出来事」でどう変わっていって、どの部分が強調されたのか?を描き込めて
いれば、文句無しの秀作になったと思うんですよ……。

特に強い印象を残すのは、「海」のイメージなんですね。ラマロが唯一救済の
道を残された「海」。少年期唯一楽しかった「音のしない世界」……彼はそこ
で一匹の魚と出会うのですが……後に出てくる「男」の部屋に同じ魚が居た……
このシーンで象徴的に示されるのが「閉塞感」なんですね。
自分が逃がし……自由だった魚が捕えられ……狭い水槽の中に閉じ込められて
いる。何とも言い知れぬ絶望と虚無感……

トゥールも我が身を切り裂き……何とかしてラマロへの渇望を押さえようとし
ます。ラマロが自分を罰するために身体を差し出したとき、大きな罪悪感と共
に味わったのは爆発しそうな快楽だったのか……

途轍も無く「痛い」映画なんです。「性の闇」を文藝調で行なうとこうなるだ
ろうなぁと言う深淵に身を委ね……これを観たあとに、自宅でゲイ・ポルノを
観ても感じないんですね(笑)

「秘すれば花」とは、世阿弥の名言。いきなり脱ぎ出してお互いの舌を絡める
描写では物足りなさを感じてしまうのです。やはり、ポルノの描写にも「抑圧」
が必要なんだなぁ……ラマロが自分の性器に唾を付け挿入しようとする際の描
写は、怖さ半分……そして、今迄観たどのポルノ映画よりも感じ……それを思
い起こしながら果てました。

「大河浪漫を愛する会」大倉 里司
(2001年7月19日 東京国際レズビアン&ゲイ映画祭 スパイラルホールにて鑑賞)

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