(罪)『ファーゴ』

以前、2番会議室で”「動機」の重大性について”と言う発言をしたぐらいに、
犯罪映画には「動機」が重要であると感じている人間です。
つまり、犯人が何故その事をしたり、あるいは、故意にしなかったのか?
これが良ければ、どんなにセットがチャチでも『特松』印を付けさせて頂いて
いるのですが、『ファーゴ』を観ていて驚いたのは、犯行を依頼するジュリー・
ガーランドの動機がハッキリしない点でした。
「とにかく金が要る」と彼は説明していますが、「何の為に必要なのか?」
が遂に最後まで明らかにされなかった点です。


しかし、それが故にこの映画は凄いのです。文句無しに『特松』印を付けま
しょう。


「犯行の動機」は、”変な顔”のカールと極端に無口なグリムスラッドの
二人組みにとっては「ジュリーに頼まれて報酬を受け取れるから」であって、
その金で何かをしようと言う訳でもない。
実際の「犯行の動機」ってこんなものかも知れません。
「ほんの出来心から」の犯行が、「取り返しのつかない出来事」になり、
収拾が付かなくなる。その事を、リカバリーしようとすればするほど泥沼
に嵌まり、選択肢をどんどんと狭めて行く怖さと哀しさを、潜在的に秘め
ています。
この出来事を真っ正面から演出すれば、とても重い映画になった事でしょう。
しかし、敢えてそれを避けた所に、コーエン兄弟の「見識」と「意地」
を感じます。
ダシール・ハメット以来の伝統である、「簡潔な会話」を排除して「犯罪物」
の会話にしては、「無駄な会話」が多く、「類型的なお馬鹿な人物」を
沢山配置したことによって「救いようのない暗さ」から逃れることに成功
しています。

しかし、「犯罪物」としての「締め」のシーンも入れるのを忘れていません。

湖畔で二人の遺体を処理する場面は、本当に背筋が寒くなりました。
「泥沼」に嵌まってしまった「人間の末路」を垣間見たような気が致します。

ジュリー・ガーランドとて同様です。
金が入る筈の「駐車場」のアイディアも、結果的に義父に横取りされてしまい、
どちらにしても「取らぬ狸の皮算用」で終わってしまったのですから。
(ここもポイント高い)

最後にマージが、連行中のグラムステッドに語り掛ける言葉があります。

「何の為にやったの?人生はもっと価値があるものなのに」

何も答えないグラムステッド。答えようがありません。(涙)

道路脇にあるポール・バニアンの像が「閻魔大王」に見えたのは仏教徒
故でしょうか?

思ったことの半分も書けませんでしたが、『ファーゴ』は、ロジャー・
ディーキンスの撮影も素晴らしいし、(『戦火の勇気』の撮影よりは
こちらの方が数段素晴らしい)

フランシス・マクドーマンドと、スティーブ・ブシュミは、この映画の
好演に因って「不動の地位」を築き上げることでしょう。(断言)

余談になりますが、この映画で一番好きなシーンは、夫が妻の為に、
「卵」を焼いて朝食を作ってあげるシーンです。
「食事」のシーン数あれど、そこにいる人たちが、「人間としての営み」
としての「食事」をしているように撮影するのは至難の技です。
この「食事」のシーンをも含めた意味での『特松映画』でした。

大倉 里司

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