(魔)『腑抜けども、悲しみの愛を見せろ』

両親の訃報を受け、音信不通だった澄伽(佐藤江梨子御嬢様)
が東京から戻る。家には、母の連れ子だった兄・宍道(永瀬
正敏さま)と結婚相談所の紹介で嫁いできた兄嫁・待子(永
作博美御嬢様)そして、内向的な妹の清深(佐津川愛美御嬢
様)がいた。4年前、女優になることを反対された澄伽は、
同級生を相手に売春して自己資金を貯めた。それを清深が漫
画にし、雑誌に掲載されたことを澄伽は恨んでいた。ある日、
澄伽は新進の映画監督が次回作の主演女優を探していること
を知り手紙を書く。思いがけずに返事が来て澄伽は有頂天に
なる……。

本谷有希子さまの手による舞台劇を元にして、御本人が戯曲
を小説化。その小説を映画化したのは、これが監督デビュー
となる吉田大八さま。今回は、脚本も吉田さまが手がけてお
ります。言うなれば二人のクリエイターが一つの作品を3つ
に分割してしまった本作。舞台版は観ていないので、小説と
映画との関係に絞って今回は書きたいと思っております。
通常であれば、根がセコイ自分としては、原作本の感想と映
画の感想を別立てにして、日記スペースを2つに増やすと言
う姑息な手を使うのですが、今回は、原作本が二百頁弱と非
常に短い事。そして、原作と映画を対比をすることによって
両者のそれぞれの特色が浮かび上がると考えて今回は一本に
纏める事に致します。

最初に映画を観て、この原作&舞台はどうなっているのだろ
うか?と考えたのですが、予想以上に原作と映画版は重なっ
ている箇所が多いのに驚きました。
ただ、原作と映画の最大の違いはコミカルな部分はよりデフ
ォルメされ、シュールな部分が原作を損なわない程度に追加
されております。

一方、原作の方の特徴は妹の清深の心理描写に大きなスペー
スが割かれている点です。何故彼女が14歳の時に姉の恥を
晒すような漫画を描いたのかが、映画ではその動機が今一つ
判りにくかったのですが原作だと一目瞭然でして「面白いか
ら描いた」と言う極めて判りやすい動機になっております。

それにしても、ここに登場してくる人物のキャラの濃い事。
主人公の澄伽は、尋常ではない自意識の強さで如何なる逆境
があっても、それは世間が自分の才能に嫉妬しているからだ
と勘違いしている自爆女ですし、その澄伽の濃さ故、つい世
間に知らしめてしまうと言う欲望を抑え切れなかった妹の清
深の持つ「毒」の強さ。また天然ボケも此処までくると傍迷
惑な存在である兄嫁・待子の存在も凄いし、こんな濃いキャ
ラに囲まれた黒一点の義理の兄の宍道のストレスも大変なも
のだろうなぁ……と同情はしますが、それを泣きの方向では
無くブラックな笑いに転化させてしまった原作者並びに監督
の両者には、創作欲と言う凄まじい迄の悪魔の権化を飼い慣
らしております。

そう……この物語は、一見閉塞された村の中で起きた家族の
愛憎劇と言う形を取りながら、実のところは、原作者と監督、
そして出演者達の狂おしい迄の表現への渇望を描いた劇と自
分は受け取りました。

その表現方法が、澄伽の様に喋ることによるものか、清深の
様に書くことによるものかの違いはありますが、それぞれの
心の中に表現したいと言う欲求はドロドロと潜んでいるもの
です。少なくとも自分はそうですよ。ええ……。

初代「大河浪漫を愛する会」大倉 里司
(2007年7月8日シネプレックス幕張にて鑑賞)

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