(闇)『光の雨』

若手映画監督・阿南(萩原聖人さま)は、映画のメイキングの撮影を依頼さ
れる。連合赤軍による同志リンチ事件を描いた小説『光の雨』を映画化する
という企画で、CMディレクター樽見(大杉漣さま)の初監督作品でありま
した………。
劇中の組織「革命共闘」の幹部・上杉(裕木奈江)や「赤色パルチザン」
最高幹部・倉重(山本太郎さま)など、キャスティングされた20名以上の
若手俳優たちは、30年前に実在した同年代の若者たちの行動に疑問を感じな
がらも、それぞれの「役」を演じようと試みる。豪雪の吹く知床の地で、
同志による「総括」場面の撮影の続く日々…。だがある日、樽見監督は現場
から突然姿を消してしまう………。クランク・インした映画は、阿南の言葉
通り完成するのか?

坂口 弘さまの『あさま山荘1972』と永田 洋子さまの『十六の墓標』
は、オウム真理教の事件があったときに手に取り読んでおりましたが、読ん
でも読んでも………「闇」の部分がどうしても掴みきれない部分があった
のです。それは「漢字が多いスローガン」(殲滅戦、革命戦士、武装蜂起、
パルチザン、総括、反革命、プチブル的………)が必要以上に遣われており、
倉重役の山本太郎さまが言った「何が言いたいのかサッパリわからんわ」に
集約されていくんですよ。

元来、天下を取るためのスローガンは、「簡単明瞭」が一番でして………
「宗教はアヘンなり」………「ハイル!ヒトラー」でも「天皇陛下万歳」
でも「安保反対!反岸政権」でもとりあえずその御題目を唱えていれば楽
でしたし、60年安保騒動のときも「反岸政権」で社会党の浅沼稲次郎が
国会に乱入できた次第。それなりに効果があった訳なんです。

ところが劇中でも示されておりますが、終盤戦に向かい「民心」が「革命」
から外れていったところに、さまざまな理由から足を突っ込んで、とある
切っ掛けから深みに嵌り、抜けるに抜けられない泥沼状況になってしまった
ところから発足したところに「連合赤軍」の悲劇が隠されている気がして為
らないんです。

元々の同志が、公安による大々的なローラー作戦により、益々閉塞的な状況
(山岳アジト)に追いこまれ、観念的な革命理想(何せ当時、『資本論』
すら永田洋子は読んでいなかった)を求めて先鋭的になっていくのですが、
パイの配分は限られ、気象状況の悪化等も含まれ……結果的には総括の名の
基の「同志殺し」になってしまう。

この映画では、劇中劇という手法を使って最大限に「いま」と「当時」の
若者の接点を探ろうとしており、特に居酒屋でのシーンなどは、台詞で聞き
かじった「総括」や「自己批判」と言う言葉がひとり歩きしてしまう怖さ
があるんです。

ただ、違うのは………「映画」だったので、彼らは生きて、「事件」の彼ら
は死んでしまったと言う点。これが今更ながら重く圧し掛かります。

「映画」を撮り終わった時点で、劇中の彼らが無邪気に雪合戦をしている姿
を見て、今まで堪えていた涙が噴出致しました………

もう、彼らは戻ってこないのだなぁ………「革命をしたい」と死んでいった
者の胸中や如何に。

「大河浪漫を愛する会」大倉 里司
(2002年2月10日 シネ・アミューズEASTにて鑑賞)

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