(宝)『紙の花』

妻と離婚し娘と会うこともままならない映画監督スレーシュ(グル・ダット
さま)は、雨の日偶然に出会った娘シャーンティ(ワヒーダー・ラフマーン
御嬢様)と出会い、コートを返す為に、彼女が撮影中のセットに入った時、
運命を感じてしまう。そこで素人の彼女を主演に映画を撮り………映画は大
ヒットするが、寄宿舎に入っていた娘が脱走し………スレーシュの元に身を
寄せたことから避けようのない悲劇の歯車が軋みだしてゆくのでありました。


映画史100年の歴史の中でも、最も完璧な作品の一つ。
妥協の無い話の展開に蒼然として、白黒の陰影……そしてセットの一つ一つ
の角度迄計算し尽くした画面構成と、数多く歌われる「歌」には非常に重要
な意味を持たせている………。

これがまた避けようが無い悲劇なんですよ。悲劇の発端は全て「善意」から
起こっているからなんです。娘が来れば、スレーシュの恋人でありました
シャーンティは所詮は妾の身。娘の「御父さんと会えない悲しさが貴女に
は判るでしょ?」と言われれば、彼と娘さんの身を慮って、映画界からも……
彼の元からも身を退く。これが最も適切な身の処し方。
それでも、まだこれだけだったら良かったんです。何と娘さんは未成年と
言うことを理由に、裁判所命令で引き離されてしまうんですねぇ。
そんなことが続き、定番通り酒に溺れて………映画は惨敗………映画界から
も追放されて、尚且つ家も追い出されてしまう。

ラージ・カプール師匠の全身全霊を次ぎ込んだ傑作『わたしはピエロ』でも、
正直言って主人公は幸福ではない人生ばかり歩んで参りましたが、それでも
本人は「生」に対して強い姿勢を通しておりました。

ところが……グル・ダット監督は、この映画で監督人生を降り、6年後に
自ら人生の幕を降ろしているだけありまして、些かの妥協も無しに自分の
分身とも言えるスレーシュを苦境の淵に迄追い込んで行くんですねぇ。(涙)
ここまでの映画って見たことがありません。しかも演じているのが当人
ですから悲愴さ倍増……(T_T)

完璧な画面構成という視点では………殊に映画撮影所の中でシャーンティと
スレーシュが向き合う場面ですねぇ。その1カット1カットが、古典絵画の
構図から学び取った完璧な黄金比。
このシーンを見て、パッと脳裏に浮かんだのが、
ディエゴ・ベラスケス師
の『ラス・メニーナス』
でして、閉め切った窓からほのかに射す光………
白黒の微妙な陰影。そしてスクリーンをキャンバスに例えると画面を十字に
切るような正中線分割。視線と視線が絡み合う三角形構図。光を一身に集め
る王女マルゲリータならぬ女優シャーンティ。唸るばかり。

そして………『紙の花』と何故題したのかが、全て明らかになるスレーシュ
とシャーンティの離別の「歌」。

最初と最後のシーンが………繋がって、ようやくホッとするんですねぇ。
「もう、無理して生きなくてもいいんだよ」と声を掛けたい程でした。

ラージ・カプール監督を当て嵌めるならば、日本の名匠黒澤 明監督ですが、
グル・ダッド監督は、さしずめオーソン・ウェルズに当たるでしょう。
只、御参家とは違うのは………最終的には「死」を求めてさまよっていた
ことでしょうか?

初代「大河浪漫を愛する会」大倉 里司
(2002年6月12日アテネ・フランセ文化センターにて鑑賞)

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