(師)『蝶の舌』

1936年の冬の終わり。スペイン北西部のガリシア地方のとある小さな村。
喘息という持病を持っていた少年モンチョ(マヌエル・ロサノくん)は、その
為に学校に行くことを怖がっておりました。初登校の日、お母さんのローサ
(ウシア・ブランコさま)に引連れられ、学校に行ったところ、あろうことか
お漏らしをしてしまう……。慌てて逃げるモンチョ少年。普通だったら、それ
っ限りで御座いましたが担任のグレゴリオ先生(フェルナンド・フェルナン・
ゴメスさま)は、仕立て屋をしているモンチョ少年の家迄挨拶に来て、「大丈
夫だからいらっしゃい(^^)」と優しく声を掛けるのでありました……
それからは、太陽の如く影なり日向と守ってくれた先生でありましたが、退任
を迎えることになり……それと重なるかのように暗雲が国中を包み込むことに
なります。モンチョ少年が恩師との別れの際に言った「ある一言とは……」





(以下内容に大幅に触れておりますし、触れなければ書けない痛切な話なんです)


















大幅に粗筋を省略してしまいましたが、実際には、もっと入り組んでおりまし
て、モンチョ少年の家族に纏わるエピソードが非常に大きなウェイトを占めて
おります。とりわけ重要なのが、モンチョの兄アンドレス(アレクシス・デ・
ロス・サントスさま)と「狼に連れ去られた中国娘」のエピソードなんですね。
他にも、共和党員の仕立て屋の父ラモン(ゴンサロ・ウリアルテさま)が生ん
だ、モンチョの腹違いの姉カルミーニャ(エレナ・フェルナンデス御嬢様)の
エピソードも大きい。

一見するとバラバラの話に思えるし、自分も観ながら「あれっ?ちょっとここ
は削れるんじゃぁないの?」と思っていたのも事実。ですが……これらは全て
最後の伏線だったことに驚いた訳なんです。

この映画のオープニングは、何枚かのセピア色の1930年代を思わせる村の
写真からなのですが、ここで二つの見せ方があるんですわ。
一つ目は、老いたモンチョがその写真が置いてある部屋で回想をする切り出し
方。自分もそう来るのでは無いかなぁ……と思っていたんです。ところが、
第二の切り方で来たんですね……1936年当時の「現在」の時制として使う
方法として……モンチョとアンドレスのベッドの横に置いてある「現在」の姿。

ここからして一筋縄では行かないなぁと後になって思い返したのです。(^^;;

つまり、「セピア色の写真」は、映画を観ている我々から観たら「過去」の象
徴なんですわ。ところが……1936年の時点では「現在」のもの。
それを混在させることによって、「現在」でも起こり得る話として作り上げた
気がして為らないのです。

そして……ラストのカットも時間を止めてセピア色の画面を出すことで、最初
と円環を形作っております。「現在」の我々が観たら、最初の何枚かの写真と
「同時列」で「最後の一枚」も含まれてしまうんですね。

製作者側は、スペイン市民戦争……既に60年を経過していますが、「過去の
歴史」としてではなく「現代の話」として組み替えることが出来るような操作
を行なっている点に着目したいと考えております。

その為に、この映画の中には「隠喩」が非常に多いんですね……。
例えば、グレゴリオ先生がモンチョ達生徒に教えたのは、ジャガイモの話。
教えて貰ったモンチョ少年が兄、アンドレスに得意気に吹聴する場面です。

モ「ジャガイモはどこから来たか知っている?」
ア「畑からだろ……」
モ「先生は、コロンブスが新大陸から持ち帰ったと教えてくれたよ」

一見何でもない話ですが、ここにスペイン分断の謎を解く鍵の一つが含まれて
いるんです。

十八世紀に入ってからスペインは、大きく二つに割れたのです。
「大航海時代の栄華よ再び」と言う伝統主義派と、それを批判し、ピレネー山脈
以北(つまりはフランスですね(^^;;)から持ち込まれた啓蒙主義&自由主義
的な対立がありました。
生活の安定があって、なお且つ国庫が潤っていれば、「酒でも呑みましょ(^^)」
で流せるのですが……貧しくて、明日の生活も分からずとなれば「裂けて海峡
ジブラルタル(^^;;」に流れてしまうんですねぇ……。

で……グレゴリオ先生は、どこからどー見ても「自由主義者」の流れなんで、
ジャガイモ話のついでに、ポトス銀山の話もしたんじゃないかと睨んでいます。
つまり、「自由主義=共和国」サイドから見れば、ジャガイモの話は、悪夢の
出来事の一端なんですね。

ところが時代と住んでいた場所が悪かった!フランコ率いる当時反乱軍は7月
17日から反乱の狼煙を上げるんです……丁度、蝶の採集に勤しんでいる時期
でしょうか?
しかも……このガリシア地方は、当時の反乱軍が非常に強かった区域なんです。
アンダルシア地方だったら、グレゴリオ先生の露命も繋げたかも知れなかった
ですが、こればかりは「運」としか言いようがありません。

この映画の極めつけは、先生のみならず……村のとある家に集められた「良心
の囚人」たちが、実はそれまでにホンワカ、穏やか〜ぁなエピソードに出てき
た人々だったと言うところなんです。

兄アンドレスは、「言葉」を遣わずに「走り去る車」に乗りながら、口が利け
ない中国娘と別れを告げましたが……弟モンチョは”アカ”という「言葉」を
遣って「走り去っていく車」の上に乗っている先生に向かって投石を行ないま
す。(涙)最後に発した「蝶の舌」という本心は先生に届いたのでしょうか……

そして、モンチョが仮に生きていて「過去」のこの「一枚」を見たときにどの
ような地獄を味わうか……彼は、後に最後の戦闘場所となったエブロ河のよう
に血の涙を流すことでしょう。それを思ったときに自分が出来たのは泣くこと
しかありませんでした……。

「大河浪漫を愛する会」大倉 里司
(2000年8月23日 シネスイッチ銀座にて鑑賞)

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