(僧)『ザ・カップ〜夢のアンテナ』

ここは、インドの北部の山岳地帯。中国によるチベット弾圧に耐えかねた
亡命僧たちが、身を寄せている僧院。少年僧ウゲン(ジャムヤン・ロゥドゥ
くん)とロドゥ(ネテン・チョックリンくん)、そしてその仲間たちは僧院
で先生(ウゲン・トップゲンさま)のおしえを受けながら、のどかな日々を
送っていた……。ある日、弾圧に耐え兼ねた母から「僧院ならば大丈夫だか
ら……」とニマ(ペマ・ツンドゥプくん)とその叔父らしいの少年パルデン
(クンザン・ニマ君)が僧院に亡命してくる。ニマの母は、万一の為にと
幼いニマに英国製の金時計を託す。「困ったときに処分しなさい」それが、
唯一、国許に残った母の出来ることだった……。(涙)

兄弟子格のウゲンとロドゥは、二人の新入りの世話を任されるが、かいがい
しく面倒を観ることなど眼中に無く、あるのはサッカーのワールド・カップ
のことで頭が一杯。(笑)

で……ある日、ウゲンたちは夜中にこっそり僧院を抜け出して、テレビがある
民家まで、テレビ中継を見に行く。ところが熱中して騒々しく応援する余り、
「坊主は帰れ」と追い出されてしまった。仕方なく僧院に戻ると先生に見つ
かり、一喝される。しかしウゲンたちはもうすぐやってくる決勝戦の日のこ
とを考えると、いてもたってもいられない。
ウゲンが立てた一策とは……何と!決勝選の日にテレビを借りて、僧院で見
ることだった……

監督&脚本を書いたのは、ベルナルド・ベルドリッチの『リトル・ブッダ』で
アドバイザーを務めたチベット仏教の高僧のケンツェ・ノルブ師。どうも……
『リトル・ブッダ』を作っているのを観て感化されたらしい……(^^ゞ
で……大プロデューサーのジェレミー・トーマスに脚本を持ち込んだのかな?
ジェレミー・トーマスが製作に当たっているだけに、スタッフはかなりの人材
が揃っております。演出と出演を除いては、殆どがオーストラリアの人だっ
たのでは?とスタッフ・ロールを見ていてそう思いました。

自分が観たチベット仏教モノは、『リトル・ブッダ』、『セブン・イヤーズ・
イン・チベット』、『クンドゥン』とこれを混ぜて4本ですが……(^^;;
実は教義的に一番良く出来ているなぁ……と思っているのが『リトル・ブッ
ダ』なんですよ。敵方である中国側の言い分をも挿入したのがスコセッシの
『クンドゥン』(実は、これが一番好き)

で……4本目の眼目は何か?自分にとってみれば「僧院の日常」なんですね。
今迄のチベット物だと「十四世 ダライ・ラマ倪下」と言う最高位の方から
描いているので……宮廷社会のようなもの。今回は、老師は居るのですが……
まあ、そこそこの地位の方のようにお見受けしたのですm(_)m
その為、煩悩渦巻く……渦巻く(笑)歯ブラシを口に入れながらサッカーに興
じている姿は「生」だろうなぁ……って思いますもの。(^^)

今回は、ほのぼのとした日常の中に老師に代表させる「望郷感」を滲ませ…
何とも良い味わいになっているのですねぇ。そして……「何かを得るために
は、代償を払わなくては為らない」と言う現実も少年僧ウゲンを通じて描い
てあるところが上手いし、一見厳しい「先生」も昔は同じことをしていたの
だろうなぁ……と感じさせる奥行きの深さがあります。(で……なければ、
門での待ち伏せシーンの意味が無い)

「何かを得る」為には行動が必要なのですが、それが「善」なるものか?
「否」か?

「否」であった場合には、「安心」とは決して得ることの出来ない境地であ
る……。それが最後の老師の説教に繋がっていくのです。『リトル・ブッダ』
では「一切空」の段階を描いたものですので、今回は煩悩の種の「自我=五
蘊」だと思いましたです。

ただねぇ……判ちゃいるけど、結果として痛い目を見ないと判らないのよん(涙)

「大河浪漫を愛する会」大倉 里司
(2001年3月7日 ル・シネマ2にて鑑賞)

BGM:OST:『クンドゥン』より『インドへの脱出』

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