(純)『クイルズ』

みなさま御機嫌如何で御座ひませうか?わたくし、マダム・DEEPで御座
ひます。夏の帝都は只管に暑ひですわね(うんざり)


けふは、十八世紀末の巴里に壮絶なる毒の華を咲かせた、マルキ・ド・サド
侯爵さまを描ひた『クイルズ』を鑑賞したので御座ひます。
ときは、仏蘭西革命後……ナポレオン一世が皇帝に為られてからでせうから、
史実的には若干のずれが御座ひますが、細かひことを考へてゐては楽しめま
せんものね(につこり)
舞台は、シャラントンの精神病院。家族の要請に因りまして、刑務所行きを
逃れてこの施設に収容されたサド侯爵さま(ジェフリー・ラッシュさま)は、
ヒユウマニストのド・クルミエ神父(ホアキン・フェニックスさま)の優しひ
庇護のもとに、優雅なる暮しを送つてゐたのでせう。ですが、病院内で執筆し
マドレイヌ御嬢様(ケイト・ウィンスレット御嬢様)の協力の基で、原稿が流
出してゐたのでせう。(うつとり)
これを知つたナポレオン一世陛下は、当初は、サド侯爵さまの処刑を考へて
おられましたが、サド侯爵さまを「矯正させる」目的で、荒治療で名高ひコラ
ール博士(マイケル・ケインさま)が送り込まれたのでせう。コラールの体現
される一見まとも……ですが……内情は偽善の腐臭漂ふ態度に、挑発するかの
やふな態度で歯向われるサド侯爵さま。(うつとり)。そのことから御執筆の
楽しみを奪はれた侯爵さまは、文字通り身を削つてインクと筆を作り出し、
「権力」と「常識」に挑発的な闘ひを挑んでゐくのでせうが……。

この映画のタイトルともなりました「クイルズ」とは、御執筆に遣われた羽根
ペンなのでせう。「書く」衝動と渇望に関しては、『ミザリー』にも良く顕れ
ておりましたが、今回の一般的な眼目は「書ひたものがみなさまに与へる影響」
やら、「表現の自由」とやう処に収まるのでせうが……わたくしが、さうした
「建前」で終らせると思つて(きつぱり)

まは、テエマとしては上記の二つが在るのでせうが、わたくし的には「体制で
生き残る人間像」を描ひた作品であると考へておりますのよ。

サド侯爵さまとクルミエ神父さまは、わたくしが看るところ、同じ金貨の裏表
でせう。(きつぱり)
何故かと申しますと、御二人ともに非常に純粋な目的をお持ちだからなのでせう。
サド侯爵さまは、ただ単に楽しみたひから苛めるので御座ひますし、それに因り
まして余計な欲得は弐の次、参の次でせう。その反対側に居られるのはクルミエ
神父さまなのでせうが、純粋に善を求めてゐらつしやる。善を為すことは神に対
しての奉仕と考へ、それに因つて喜びを見出す。
最後に伯爵さまに向かつて、残忍な行動を取つたのも純粋さの現われ。そして、
最後の御言葉も純粋(うつとり)

それに対しまして、コラール博士は不純な俗物ですわね。(きつぱり)
まず、この手の人物は……御自分の為さつてゐることにつゐて深く考へることを
為さひません。まことに持ちましてお目出度ひもので御座ひます。
ただ、世間さまに対しての渡りの付け方だけは、異常に上手ひので御座ひます。
のうのうと生きていける神経が不思議な位で御座ひますが、何時の世にもかうした
俗物がはびこり醜ひこと甚だしひのでせう。(うんざり)

楽しひことに、その俗物に一矢を放たれたのが、間接的にはサド侯爵さま。
直接的には修道院から嫁ひで参りましたシモーヌ御嬢様(アメリア・ウォーナー
御嬢様)でせうか?ここのところのバランスの取り方を含め、磨き抜かれた御言
葉の数々が耳に心地良ひ響きを与へて下さひますの。

『存在の耐えられない軽さ』を観てから久々に、フィリップ・カウフマンさまの
「大人の毒と官能の淵」を味わへた文藝作品の逸品で御座ひましたわ(うつとり)

「裏社交界の徒花」 マダム・DEEP
(2001年7月4日 新宿シネマ・カリテにて鑑賞)

BGM:J・S・バッハ『ブランデンブルグ協奏曲 第5番』

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