(銀)『千年女優』

映像製作会社社長である立花源也は、かつて一世を風靡した大女優の藤原
千代子の半生を振り返るドキュメンタリー制作に着手していた。今でも
伝説となっている千代子の大ファンだった立花は、若いカメラマンを引き
連れ、30年前に人気絶頂の中、忽然と姿を消し、以来公の場に現われな
かった千代子の屋敷へ向かった。ようやく姿を現した千代子は、歳は老い
ても昔の清純な印象を残していた。そして、戸惑いながらも自らの人生を
語り始めた。それは、女優になる前、女学生の頃に出会ってしまった
反体制派の闘士であった「鍵の君」を、生涯をかけて追い求める壮大な
絵巻のほんの序章で御座いました……。

平成13年度(第5回)文化庁メディア芸術祭アニメーション部門大賞を
『千と千尋の神隠し』と同時受賞してしまった本作……この受賞が幸か
不幸か?は後世の映画史家の評価に委ねるとして、個人的にはこの映画
と比較してしまうと『千と〜』は屑映画に見える!と大暴言を吐いてし
まいましょう。\(^o^)/

この作品、配給元が東映系だったので、劇場はガラガラでして、現在も
ビデオコーナーにたった一本しか置かれていない状況。

正にこの映画が置かれている状況と自分がこの映画に触れた状況が奇妙
に合致いたします。映画の冒頭で地震が起こり……かつて盛況を誇って
いた「銀映」と言う映画会社の撮影所も閉鎖され、取り壊しの最中……
現実の世界では、去年から地震が連発し、昭和のレジャー産業の一翼を
担っていた西武鉄道グループが危機存亡の時代……

この映画を観たのは2002年ですが、今改めて観直してこの時期だっ
たからそうした感慨も出るのかなと思ったりしております。

延々と関係の無さそうな事を前置きとして書いておりますが、実はこの
映画3年前の初見と昨日観た再見(再建と出た(^^;)した時では、印象
がかなり変わっているんです。

何処がどう変わったのか?なのですが、今回観たときは構成が予め判って
いるので、より細かい箇所に目を見張るとでも申しましょうか?
「映画の中の現実」と「映画の中の映画」の部分が明瞭になって来て、
最初に観た時に最も強く意識せざるを得なかった「大河浪漫の鍵」となる
「もっとも大切なものを空ける鍵」……これはヒロインである千代子が
後生大切に保管し……途中で紛失し……そして巡り合う。この過程が
正に「大河浪漫の王道」だった訳ですが、これが初見の時には「何を空け
る鍵」だったのか?がヒロイン同様判らなかったんです。
だからこそ、「影の主役」である「鍵」の行方と「鍵の君」が何処に行き
どうなるのか?映画の中の虚構と映画の中の現実が交差していく様……
そして、もう一人の語り部である立花が「鍵」を何故持っていたのか?
が明らかになるにつれ、大河の奔流となり3年前の某日、滂沱の涙を丸
の内東映パラスにて流させた訳です。
このあたりの呼吸は、二回目観ても御見事としか言いようが御座いません。

千代子が語った「あの人の顔を思い出せない……」「もうあの人が覚えて
いる私の顔じゃないことに気が付いた」とは、「時の流れ」を最重要視する
大河浪漫愛好家の自分に取っては、キタ━━(゚∀゚)━━!!!!! と感涙の嵐♪

いかつい熊系モテ筋顔の立花が、まだ紅顔の青年だった頃……そして、
先輩の女優、銀映専務の息子である監督の思惑……そして、特高警察の
捜査官。『蜘蛛巣城』をモチーフにした映画に登場した糸車の魔女。
この映画には複数の視点があり、85分と言う短い上映時間の中で、
最後にヒロインの千代子は、こう語ります「わたしが一番好きなのは、
あの人を追いかけている私だから……」

そうなんです。これが無数ある中の「真実」の一つ……二回目観てそう
確信しました。
一回目ヒロインと共に映画の中で追いかけた「いちばん大切なものを
空ける鍵」とは、言ってみれば何だぁ〜と言う程、ありふれた些細なもの
でした。言うなればこれがたった一つしかない「事実」。

でも……その「鍵」が何であるか?を謎として残しているからこそ、
昭和と言う激動の時代を舞台にして、一生を追い掛けつづけた一人の女優
と、その女優と接点を持ってしまった為に、自分の中のジグゾーパズルの
一コマをやっと埋める事が出来た一人の男。

時には傍観者、そして時にはふとした切っ掛けで他人の人生の一コマを
動かしてしまった人々の大絵巻でありました……。

 

初代「大河浪漫を愛する会」大倉 里司
2005年3月30日 ビデオにて3年ぶりに再見

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