(視)『テシス〜次に私が殺される』

皆様、今晩は。大倉です。

遂に見逃していて、口惜しい思いをした『テシス〜次に私が殺される』
を鑑賞致しました。(ビデオの題は『殺人論文』)


『ミュート・ウィトネス』が直線球ならば、こちらは変化球。アンソニー・
ウォーラー監督が、アングロサクソン的な思考かと言えば、アレハンドロ・
アメナバールはラテン的感性で迫ります。

結論から言えば、相当に恐い映画だった………と言うことです。

(非常識モード突入)

スナッフ・フィルムを巡って様々な事件が起こり、ヒロインが巻き込まれると
言う設定は両作品とも同じなのですが、こちらの方がヒロインの「いたぶられ方」
に余裕が有るだけに、「悪意」は色濃く反映されております。

幾つか細かい点で不解明な所はあるにしても、ラストに示される「警告テロップ」
の「毒気」はゾクッと冷気が来るような気が致しました。

猟奇殺人が起きる度に「善意」の仮面を被った「メディア」がそれを淡々と流
す。好奇心半分でそれを観る人々(自分は楽しんでおりますが)
この監督であるアレハンドロ・アメナバール様は、脚本も担当されたと
かで、未だ20代の監督です。
その若さ故の義憤を、皮肉を交ぜて画面の中に焼き付けている事に成功してい
る気が致します。

冒頭に示される地下鉄事故のシーンから、人々の心の中に潜んでいる「死への
興味」が実に上手く、たちまち魅せられてしまいました。

猟奇事件の特番の裏番組でこれを流したら………と言う、いささか悪趣味な事
を考えてみると面白そうですね。(実現は不可能ですが)

大倉 里司(HCD05016@nifty-serve.or.jp)

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