(悲)『ハムナプトラ・失われた砂漠の都』

ぼくは、残念ながら、チベットの「死者の書」は読んでいても、エジプトの
「死者の書」は未読なんですね……。もし、そうしたエジプトの古代信仰につ
いてもっと深く知っていたら、数倍楽しめただろうなと言う映画が……『ハム
ナプトラ・失われた砂漠の都』なのです。

「ハムナプトラ」とは、3000年前の新王朝時代(丁度ファラオ全盛の時代
ですか……大ピラミッド建設ラッシュで、土建業者ならぬ神官が最も潤った時
期(^^ゞ)に都はテーベとされておりましたが、ちょっと離した処に死者の為
の都。「避幕」やら、「結界」を作って守護してもらう考え方は、陰明道と相
通じるところがありますね……(^^)

神官でありながら、何とファラオであるセティ一世の寵姫であるアナスナムン
(パトリシア・ウェラスケス)と不義密通をしたことが発覚し、ファラオを殺
害してしまうイムホテップ(アーノルド・ボスルー様)は、とある約束をして、
離れ離れになってしまう……。
それは、「わたしは命を絶ちますので、貴方が蘇らせて……」こと。
イムホテップ様は、その約束を果たそうとするが……ファラオの警護兵によっ
て、儀式は中断され……イムホテップ様は、生きながら魂が永遠に封じ込めら
れる「ホムダイ」と言う刑を受ける……。

しかしながら……それは、あたかも平安京を恐怖に陥れた祟徳上皇の呪いの如
く……封印されているだけでありました。

時は過ぎ……1923年、人間は懲りることなく砂漠でも戦いを繰り広げてい
た。しかし、ある一人の傭兵リック・オコンネル(ブレンダン・フレイザー)
がこの場所を発見し……運命の導きに誘われるかの様にエブリンと言う女性考
古学者(レイチェル・ワイズ)が、ハムナプトラの地図を手に入れたことから
封印は解かれようとしていた……。

封印を解くとき……それは、大いなる災いがもたらされようとしている時であ
る。

こう書くと、ひどく生真面目な話しに思えるでしょう……(^^ゞ
ですが、非常に意図的に作られた「御馬鹿さん映画」なのです。

ぼくは、本来「意図的に作られた御馬鹿さん映画」は大嫌いなのですが、これ
は奇跡的に大好きになってしまった映画なのですね。

何故かと言えば、各個人のキャラクターの彫り込みが出来ているし、唯一狂言
廻しとして登場するオコンネルを演じたブレンダン・フレイザーの身体も良い
し(*^_^*)(ポッ)……それに「声」が良いのです。非常に男性的な声の持ち主だ
ったんだなぁ……と今回初めて認識できました。

この映画の中では、イムホテップ様を演じるアーノルド・ボスルー様に威厳が
ありますし、この位の迫力が無いと僧院でも高位に上がるのは困難でしょう。
そして「品」があるんですね。(*^_^*)(ポッ)

実は、この映画の中には、御馬鹿な笑いの中に隠された、深い哀しみが込めら
れているのを、ぼくは感じ取りました。そして、この映画の隠れた意図を説明
するのに不可欠なキャラクターを二人紹介致します。

ケビン・J・オコナー様が御演じになられたベニーと言うキャラクターと、フ
ァラオの衛兵の末裔のアーディスを御演じになられたオーディド・フェール様
です。

ベニーは、端から観ると実に信用為らないキャラクターです。でも、彼の人格
は、「ある目的」の為に意図的に作られたものなのです。
ミイラ男として蘇ったイムホテップに襲われ、最初は十字架を差し出しキリスト
教の祈りを捧げます……効目無し……で、まあ、数々の物を出すのですが……
ダビデの星と共に、ヘブライ語を唱えた時に……イムホテップは、初めて「納得」
するのですね。

「奴隷の言葉だな……」と。

そして、その後に「わしに協力するのならば、褒美をやろう」とイムホテップ
が差し出した物は「黄金」でした。

ぼくは……このシーンで、思わず目頭が熱くなりました。つまり、ベニーが
ユダヤ人であるかどうかは定かでは無いのですが、実に有史以来ユダヤ人が歩
んできた苦難の道を象徴するかの様な人間として描かれているのです。

彼等が、何故迫害の道を歩んだかと言えば、選民思想だったのですが……時代
と共に、彼等が頼るものは「金」と「教育」でした。
ベニーが数々の言語を操り、誰からも信用されていない……。
そして、エブリンからは……散々「報いが来るわよ」と脅され……。
脱出しようとしている時に、「死の神」である「アヌビス」を形取った取っ手
に「黄金」=「マモン神」(ソロモンが惑わされた悪神とされる)を掛けてし
まった為に城が崩壊へと至る……そして、彼が閉じ込められた場所は、「黄金」
の部屋……実に象徴的です。

また……イムホテップが恐れるもの……それは「聖獣」である「猫」であり、
そして「光の書」なのですね。

ですが……皮肉なことに、墓所の守りについているアーディスは、既に「回教
徒」なのですよ……。

つまり……ぼくはこう取ったのです、古代の葬られた神と悪神は、互いに戦う
が……それが終わったあとは、再び封印されなければならない……。古王朝期
の神であるホルス神であろうが……太陽神ラーであろうが、アラーの神が来る
と……追放されてしまったり……あるいは、「古代の名所」として祭り上げら
れてしまうだけの存在になってしまうのです。

ですが……それが分かっていても、現代の祭司たるアーディスは、「国家鎮護」
の為に、どちらの古代の神をも封印しなくては為らない……。

あと……もう一つ重大なシーンがあるのですが……またの機会に(^^)/~

「大河浪漫を愛する会」大倉 里司(HCD05016@nifty.ne.jp)
(7月7日 日本劇場にて鑑賞)

BGM:Deep Forest『ボヘミアン・バレエ』

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