(魂)『ブラッド・イン・ブラッド・アウト』2

(注)『ブラッド・イン・ブラッド・アウト』の続きです。

1980

皮肉にもファニートの死により、パコのアイディンティテイは確立します。
LA市警で麻薬担当になったパコ。彼にとっては、余りにも痛い自己確認
の作業だったのでしょう。
彼にとっては正義を果たすことが、生きていく為の道標になったのです。

一方、ミクロの方ですが、モンタナの助言により仮釈放への努力を始
めていくのです。

1982

仮出獄したミクロ。彼が見たものは、町並みの変化だけでなく、刑務所
を出ても一向に改善されない環境でした。
給料はピンハネされるわ、昔の刑務所に居た仲間と顔を合わせなくて
はならない生活に嫌気がさしてきます。そして、再び悪の道へと足を
踏み込ませていきます。

ミクロは、パコに電話を入れます。

「クルスのところに行ってやれ」と。

パコは、7年ぶりにクルスの家を訪問します。そこで彼が見たものは、
画風が陰惨になったクルスの絵でした。彼もまた地獄を抱えていたの
です。
「自分のせいでファニートを殺した」と。
薬物中毒にますます拍車が掛かり、パコは嫌悪感を率直にクルスに
叩きつけるのです。
「ファニートを飯の種にするな」と。

ここで描かれているのは、一切妥協が無い世界です。
クルスとパコのそれぞれの地獄のぶつかり合いなのです。

何故、パコが7年ぶりにクルスの家を訪ねたかと言えば、その前の
シーンでパコがクルスの足を撃ってしまったからに他なりません。
逮捕上仕方が無いとは言え、彼の心は千路に乱れています。
それでも、なお且つクルスと魂の葛藤を起こさなくてはならないのです。

パコとミクロの亀裂も深まるばかりです。もはや、ミクロにとってパコ
は死んでいたのです。
この時点ではパコは、ミクロを信頼していたのですが、やがて手痛い
しっぺ返しを受けることになります。

ここで、パコはミクロの片足を奪うことになったのですが、片足と言
うのが象徴的な意味合いを持っています。

ミクロは、本来どちらにも属すことが出来ない人間だった。家族も
父親不在で、自分自身の血もハーフ・ブラッド、そして片足を無く
してしまう。しかし、片足を失ったことにより、彼のアイディンテイは
確立してしまうのは、何と言っても皮肉ですし、悲劇と言えるでしょう。

1983

刑務所に戻ったミクロは、刑務所内でのパワー・バランスが変化して
いることを悟ります。

カルロスと言う者がコカイン取り引きを始めてしまった為に、一枚岩
だったラ・オンダが崩れていこうとしていた。
ラ・オンダが家族同様になってしまったミクロとしては、その崩壊は
とても耐えられるものではなかったのです。

穏健派となった、モンタナを倒してまで、ラ・オンダの力を強めなくて
はならないと、そう確信するに至ったのです。
かつて自分を引き立てたくれた恩人ですが、必要とあれば殺すしか
無かった。それも、自分達の力を強める方法で………。
詳しくは書けませんが、このミクロが使った方法は陰謀としては、
一級品の出来栄えです。

メキシコの人達には、「死者の日」と言う祝日があります。
生者と死者が魂の交流を図る日とされていますが、生きている人が
死者の格好をして、自分の生を感謝すると言う目的であった筈です。

その日、ミクロの指揮により刑務所内で暴動が発生し、白人の幹部
と黒人の幹部が相次いで殺害されてしまう。

黒い服を着て、ブルーの眼に冷徹な光を湛えたミクロの姿が印象に
残る秀逸なシーンがここにあります。
彼は、完全に「悪」と「力」の信奉者になっていたのです。

同じ死者の日、パコとクルスにとっては別の物語が始まっておりました。

ファニータの墓前に、グラスを置き酒を注ぐクルス。もう一つの奉げ物
であるグローブを墓石に置こうとした時に、その横から花束が供えられ
ます。花を置いたのは、母親でした。かつて、自分を憎んだ母親と無言
のまま抱きしめあうクルス。彼の父と共に優しく見つめるパコ。
いつの日にか、憎しみと言う感情は二人の間から消えていたのです。

けれども、パコとミクロにとっては、今迄の関係に終止符を打つ日でした。
ミクロの目的の為に自分が利用されたことを知った、パコはミクロと面会
を果たすのですが、そこに居た者は、自分がかつて知っていたミクロでは
無かった。足を撃ってしまった日から、何度となく会っていたのですが、
それらは全て自分を騙すための方便にしか過ぎなかったことを悟ります。

ミクロにとっての正義と、パコにとっての正義が180度違ってしまった。
ミクロにとっての規範はただ一つ、ラ・オンダの繁栄であり、パコにとって
は法規範であり、社会生活の安定であった。

もう完全に違う世界に入ってしまった二人。会話する余地は微塵も無かった。

1984

いよいよこの映画を語るのも最後になってしまいました。3時間の長尺に
終止符を打つときが来たようです。

クルスはパコを川に招き寄せます。そこで一枚の壁画を見せるのです。
何が描かれていたかと言えば、12年前の自分達の姿でした。

この映画の中で一番弱い存在とも言えるクルスが、パコに語ります。

「俺達3人の絆が切れると思っているのか?ミクロはまだお前の事を
好きなんだ」

「俺達は、それぞれあるものを抱えながら10年生きてきた。君は罪の
意識で生きてきたし、俺は薬で生きてきた、そしてミクロは自分の白い
肌を憎んで生きてきた」

この映画を観るのは3回目ですが、その度にこのシーンでは、息が出来
なくなる程の衝撃を覚えます。
本当にこのシーンを入れる為だけに3時間と言う長丁場を用意したと
思えるほどですし、家族や友人の絆を描くだけが目的ではないと思うのです。
圧倒的な物語の前に僕はひれ伏すしかありません。

メッセージ性から言えば、もっと短くて素晴らしい映画も沢山あると思う
のです。しかし、少なくとも僕には物語を語るだけでこれだけのパワーを
秘めた作品にはそう御目に掛かることはないのです。

人によっては、この映画をただ単に長いだけの退屈な作品と考える人
もいるかもしれません。それはそれで構わないと思いますし、怒る気にもな
れません。

でも、これだけは言わせてください。これは僕にとって非常に想い入れの
ある作品であると。

ここまで長文を読んで頂いた全ての方に、感謝の念を示したいと思います。
本当にありがとうございました。

『大河ロマンを愛する会』 大倉 里司(HCD05016)

BGM:オリジナル・サウンド・トラック『ブラッド・イン・ブラッド・アウト』

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