(流)『ベンジャミン・バトン 数奇な人生』

1918年のニューオーリンズ。黒人女性クイニー(タラジ・
P・ヘンソン姐さん)は、置き去りにされた赤ん坊を拾う。
ベンジャミンと名づけられたその男の子は、すぐにクイニーが
営む施設の老人たちの中に溶け込んだ。なぜなら彼は、80歳
で生まれてきたからだ……。
“母親”クイニーの惜しみない愛情に包まれて、ベンジャミン
(ブラッド・ピットさま)は成長していった。車椅子から立ち上
がって歩き出し、しわが減り、髪が増え……
そう、ベンジャミンは日に日に若返っていったのだ。
1930年の感謝祭。その日、ベンジャミンは、将来自分の人
生を変えることになる少女と出会う。施設の入居者のフラー夫
人を訪ねてきた孫娘、6歳のデイジーだ。ふたりはすぐに心を
通わせ、ベンジャミンは自分の秘密を打ち明けるが、デイジー
はそのことを既に魂で感じていた。
ある日、ベンジャミンは働かないかと誘われてマイク船長 (ジ
ャレッド・ハリスさま)の船に乗り、さまざまな“初めて”を
体験する。海、労働、女性、帰り道に声をかけられた男と飲ん
だ酒。男の名はトーマス・バトン(ジェイソン・フレミングさ
ま)、ボタン製造会社のオーナーだ。実は彼こそが、ベンジャ
ミンを捨てた父親だった。出産直後に亡くなった妻との、息子
を守るという約束を果たせず、後悔の日々を送っていた。
1936年、ベンジャミンは皆に別れを告げ、デイジーには
「どこへ行っても葉書を出す」と約束して、再び海へ出る。や
がて、英国のスパイの妻であるエリザベス・アボット(ティル
ダ・スウィントン姐さん)と恋におち、男として愛され る幸せ
を知る。だが、その恋は短命だった。 
1941年、太平洋戦争が始まり、エリザベスは消え、ベンジ
ャミンの船は戦争に駆り出される。
1945年、戦いで大切な友を亡くしたベンジャミンは家に帰
り、すっかり美しく成長したデイジー(ケイト・ブランシェッ
ト御嬢様)と再会する。彼女は、ニューヨークでモダン・ バレ
エのダンサーとして活躍していた。心の片隅では、いつもベン
ジャミンを思いながらも、若きデイジーはまだ、自分だけの人
生に夢中だった。ふたりはまた、別々の時を進む。
ベンジャミンと再会したトーマスは、遂に自分が父親だと打ち
明ける。不治の病で余命わずかのトーマスは、ベンジャミンの
母との幸せな出会いを語り、ボタン工場や屋敷など全財産を譲
りたいと申し出るが、ベンジャミンは「僕の家に帰る」と静か
に立ち去る。それでもベンジャミンは、父の最期の日々にそっ
と寄り添うのだった。
1962年、喜びも悲しみも、孤独も知った人生のちょうど真
ん中で、遂にほぼ同じ年齢を迎えたふたりは結ばれる。
愛に満ちた幸せな日々の中で、ふたりは恐れ始める。やがてま
た、時に引き裂かれることを。日に日に若返るベンジャミンは、
ある決断をすることになる……。


自分としては異例の冒頭から終盤に掛けてのあらすじを記
しましたが、この映画が異色の大河浪漫である事に起因して
おります。一連の流れを説明しておいてから、細部に渡る
検証を行なうのが一番書きやすいと自分が思ったからなの
ですが、どうなることやら。

まずこの映画の特殊なところは、主人公のベンジャミンが
歳を取る毎に若返っていくところでして、それを暗示する
かの様に盲目の時計技師が作った時計は時間が逆行して動く
様になっております。彼が何故この時計を作ったのか?に
関しては第一次世界大戦で失った息子を含め、多くの戦死
者を生まなかった事にしたかったと言う切なる願いが含ま
れておりました。この点から筆を起こしたのが、異能の才人
超兄貴さまですが、彼の解釈を「密教」とするならば、自分
の場合、表の面を中心に捉えた「顕教」として読み解いて頂
ければ幸いで御座います。

http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1079322752&owner_id=3722815
これぞ密教!(映画【ベンジャミン・バトン −数奇な人生−】考)



此処まで書いてきてふと思いついたのですが、「四苦八苦」
と言う概念が仏教にはありまして、四苦の方は「生老病死」
と言う生命サイクルでありまして、彼の場合はこれが人とは
違っております。但し、「病」に関しては意外な方向で出て
しまうのですが、この時点では伏せて置くことに致しましょ
う。

一方の「八苦」の方は、人間の心の働きに因って生み出され
る苦しみでしてこれが4つあります。

・愛別離苦(あいべつりく) 愛するものと分かれなければなら
 ない苦しみ
・怨憎会苦(おんぞうえく) 憎んでいる対象に出会う苦しみ
・求不得苦(ぐふとくく)欲しいものが得られない苦しみ
・五蘊盛苦(ごうんじょうく) 心身の機能が活発なため起こる
 苦しみ

この中で、愛別離苦と求不得苦の2つが、この映画を貫く大き
な柱となっているのであります。

この映画の中で最初に訪れる愛別離苦は、ベンジャミンを生んだ
事により母が死んでしまう事から始まって、それに因って父トー
マスがベンジャミンを棄ててしまう事に繋がります。
しかし、それによってホームで引き取られる事が無ければ、ディ
ジーと出会う事も無かったのであります。正に因果の為せる業で
しょう。ベンジャミンはデイジーとも愛別離苦を繰り返すのであ
りますが、これは全てベンジャミンの意思に因るものが重要でし
て、「思うが侭に為らない」=求不得苦を避ける為に選択した
のかも知れません。
一方、思うが侭に為らないのは、ディジーも同様でして、「もし
も」の連鎖が最悪の形で重なってしまったが故の交通事故。
「あの時、こうだったら……」と、当のディジーでは無く相方の
ベンジャミンが考えるのも如何にも文学的ではありますが、それ
がこの映画の魅力の一つでありましょう。

唯一、二人の年齢が実年齢になったのが「中年」と言われる30
代〜40代に掛けてと言うのが象徴的でして、伊達に「中年」と
呼んでいるのでは無いのねと妙に納得してしまいました。

この映画には「時計」が2つ出てきます。一つ目の時計は、この
物語のシンボルとも言える逆回転する大時計と、もう一つは極め
て目立たないのでありますが、ベンジャミンが相続した財産を
全て売却して、財産がディジーに渡る様に置手紙をしている時
にデイジーの寝室を写すのですが、その時に窓際に目覚まし時計
が置いてあるのです。
このシーンの後に、ベンジャミンは二度目の世界放浪をし、お釈
迦様生誕の地である印度を訪問するのでありますが、この映画に
おいて「時計」とは「再生」の意味を持たせているのでは無いか
と思った次第です。
最後のシーンでデイジーが死んだ後、「永遠」の象徴であるハチ
ドリが病室の窓に飛んできて、その次のシーンで倉庫に仕舞いこ
まれた動かない筈の大時計が、洪水で水を被ると同時に動き出す。

これは、ベンジャミンとデイジーの後、別の誰かが違った場所
で同じ様な事を行なっていく始まりと自分は受け取っています。

何故こんな事を書くかと言えば、題名のベンジャミン・バトンが
人名とは知らなかったからなんですね。ベンジャミンがバトンを
誰かに渡すからベンジャミン・バトンと思っていたんですね。(^^;

此処までは、言わば感心した部分。感動した箇所はベタですが、
ベンジャミンの父が最初は身分を名乗らずに登場した場面。
映画では、北極迄娘が尋ねてくるヴィンセント・ウォードの『心
の地図』や小説ではロバート・ゴダードの『リオノーラの肖像』
がこのパターンですが、これを見せられただけで涙目確実。
そして、日記帳がディジーのもとに届けられるシーンでは、泣き
の黄金律ダニエル・キイスの名作『アルジャーノンに花束を』の
パターンを見事に踏襲しているのです。
余談ですが、マイク船長の最期は、アリステア・マクリーン御大
の『女王陛下のユリシーズ号』のカポック・キッドの最期を踏襲
しております。「台無しにしてくれたな」これが、胸に刺青をし
たカポック・キッドの最期の言葉でした。
そんな訳で、『アルジャーノンに花束を』と『女王陛下のユリシ
ーズ号』は、脚本家のエリック・ロスは、絶対にこの2作品を
意識しているなぁ……と秘かに微笑んだのでありました。

初代「大河浪漫を愛する会」大倉 里司
(2009年2月15日109シネマズ木場にて鑑賞)

『ベンジャミン・バトン 数奇な人生』(2回目の感想)日本語吹替版

『ベンジャミン・バトン 数奇な人生』(3回目の感想)

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