(戦)『ベンジャミン・バトン 数奇な人生』(2回目日本語吹替版)

皆様、お今晩は。今週一杯で日本語吹替え版の打ち切りが
決まりましたので、再度観て参りました。『ベンジャミン・
バトン』(日本語吹替版)

その前に観る度に似てくる超兄貴さまの「評論」を御一読
頂けます様にお願い致します。

http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1079322752&owner_id=3722815
(映画【ベンジャミン・バトン −数奇な人生−】考)



日本語吹替え版の良い所は、どの時点で誰が喋っているのか
がハッキリする点でして、今回の様に1985年の時点で
67歳のベンジャミンが書いた「遺言書」をディジーの娘
が読み上げるところから、画面が変わってベンジャミン当人
のナレーションに移行するところが、字幕と違って耳から
入ってくるのでスンナリと物語の中に入って行けました。

二回目の鑑賞で衝撃的だったのは、劇中ハリケーンが上陸す
る云々と言うニュースが流れているのですが、それは超兄貴
さま御指摘の通り「カテリーナ」で御座いました。
この超弩級のハリケーンによって、最も甚大な被害が出たの
が、ディジーの入院していたニューヨークでは無く、ベンジ
ャミンが生まれ育ったニューオリオンズである事の意味が
漸く理解出来ました。最初のシーンの大時計の意味は、第一
次世界大戦で亡くなった兵士達が元の生活に戻れる様にと言
う意味ですが、ラストシーンにて、2002年にデジタル時
計に置き換えられた大時計が収められた倉庫に洪水が入り
込んだ時に、時計は再度動き出す。
やはり、これはイラク戦争の事を暗示していると考えるのが
もっとも自然でしょう。

さて、この映画、直接的に戦争が描かれるのは第一次大戦と
第二次世界大戦で、朝鮮戦争とベトナム戦争は意図的に抜か
されておりますが、ベンジャミンの父親が言わば軍需産業の
一端を担うことに因って財を築いたと言う遣り取りがあり、
そもそもバトン家の先祖は南北戦争時から創業をはじめたと
言う事も語られているのです。

そして、細かくこの映画を観ていくと、何だかんだと言って
アメリカは軍事国家だなぁ……と実感させられます。
まず、ベンジャミンが育った「ホーム」では、午前5時30
分に退役した大将に因って国旗掲揚が行なわれます。
因みに喪中の時には、ちゃんと半旗になっているところに芸
の細かさを感じます。また、身体は老人ながら心は少年の彼
は遊びたくて仕方無いのですが、周りは老人ばかりなので、
一人でミニチュアの兵隊を使って遊んでいるシーンが挿入さ
れております。子供の遊びとしては割とメジャーな部類かな
ぁ?と思うものの、さり気無い「イケズ魂」を感じるのであ
ります。

この映画でもう一つ丹念に描かれるのは、時計の音でして、
何か大切な節目のシーンで使われているのです。
使われていて養母であるクィーニーが老人にベンジャミンを
お披露目する場面。冬のソ連でベンジャミンと恋に落ちる人
妻とキャビアとウォッカを飲むシーンでの別離の合図。
あと、ディジーの御祖母さんであるフラー夫人が二人に読み
聞かせる絵本の中にも時計が描かれております。同じ絵本
を今度は共にホームに入った年老いたディジーが幼いベンジ
ャミンに読み聞かせる場面では、「これぞ大河!」とひとり
感涙に咽んでおりました。この本が2回目出てくるところが
極めて重要なファクターでして、「人間は最後に自分の愛し
ていた所に戻る」と言う大河浪漫の黄金律が見事な形で結晶
しております。

ハチドリの解釈ですが、飛び方が数字の8の字を表し、その
意味は無限大……今回観てみて意味するところは、「可能性」
の事では無いか?と思った次第なのです。
パリでディジーは、交通事故に遭う前にさまざまな選択肢が
あって、その内のどれか一つでも違っていたら、あの事故は
起こらなかったかも知れないし、やっぱり起こっていたかも
知れない。彼女だけでは無く、この映画に出てくる人々全て
にそれぞれの選択肢があって、「為りたかった自分」が次々
と映し出されるのであります。彼等は、それぞれ自分の本当
にやりたい事があったのに、何らかの事情でそれが妨げら
れていた……でも、『フィールド・オブ・ドリームズ』の真
の主役であるムーン・ライト・グラハム(故、バート・ラン
カスター御大)の様に、野球選手になりたかったけれども、
結果的に医者になって正解だったと言う人生もあるのです。
それと同じ事がこの映画でも言えるのでは無いでしょうか?
クィーニーに子供が居たならば、ベンジャミンは引き取る事
は無かったでしょうし、船長もタトゥ・アートのみならず、
本格的に芸術家の道を進んでいたならば、ベンジャミンとの
出会いは無かったのであります。
当人にとって第二の選択を選んだとしても、周りから見たら
それはそれで貴重な存在であるかも知れない。
一瞬一瞬の連続である人生、一人一人の人生があり、出会い
と別れがある。この映画の副題こそ「一期一会」が相応しい
のでは無かったでしょうか?

初代「大河浪漫を愛する会」大倉 里司
(2009年2月21日ワーナーマイカルシネマズ市川妙典にて鑑賞)

『ベンジャミン・バトン 数奇な人生』(1回目の感想)

『ベンジャミン・バトン 数奇な人生』(3回目の感想)

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