(将)『硫黄島からの手紙』(4回目〜栗林中将編)

皆様、お今晩は。自分がこれから書く内容は映画『硫黄島から
の手紙』の内容にいきなり入り込んだ内容となっております。
未見の方は(序章)だけお読み下さい

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今回取り上げるのは、この人が居なかったら「硫黄島二部作」
とはなって居なかったであろう立役者。硫黄島総司令官、栗林
忠道陸軍中将で御座います。この役に関しては最初から渡辺謙
さまの起用が決まっていたと言われております。

さて……栗林閣下とは如何なる人物であったのか?西中佐の如
く紹介しても良い気がするのですが、映画の中に出ていた通り
の方と申し上げましょうか。渡辺謙さま御自ら第37回大宅賞
を受賞した『散るぞ悲しき〜硫黄島総指揮官・栗林忠道』の著
者である梯久美子さまにインタビューして、本も熟読し、この
本に描かれてある通りに再現されております。
この方、大変に筆マメな方で御座いまして、戦地から自宅に送
った手紙が50通近く残っている事と、昭和2年武官補佐官と
してワシントンに駐在。(映画ではこの時分の事の回想シーン
が盛り込まれております)

ところでこの栗林中将なのですが、一兵卒から見た観点と、将校
から見た観点では180度近く感じ方が異なると思うんですよ。
この映画では、一兵卒である西郷二等兵の眼から見た栗林閣下
の事が中心に描かれておりますが、一般の兵卒には評判が良かっ
た。内地から送られてきた野菜や果物を自分は口にせず、出来る
だけ細かく砕いて部下に与えたとか……。将校も一兵卒と同じも
のを食する様にと指示を出している(故に西中佐との空皿を並べ
る場面が出てくるのであります)そして、兵団長自ら水も食料も
豊富で過ごし易かった父島赴任を断り、総司令部を硫黄島に置い
た点。

ですが……伊原剛志さま演じた西中佐のような例外を除いて、
中村獅童さま演じた伊藤中尉の様に苦々しく思っていた将校が圧
倒的に多かったであろう事は容易に想像が付きます。

実を申しますと、今回の鑑賞においては、どちらかと言うと将校
側の視点に立って観てしまったのですねぇ。現実の仕事上の問題
をも反映させているのですが、組織において「改革」と言うのは
正しい事を言えば言う程、腹の底では正しいと思っていても、正
直言ってやりたくないものなんですわ。(--;)

ですから……西郷風の口調を借りて栗林閣下の事を評するならば、

「あの栗林閣下は、うるせえし、細けえし、やることに一々口
出しするし、やってられるかよ(--;)」

と愚痴りたくなるもの。その意味では自分の立場としては伊藤中
尉程、横暴では無いんですが、面従腹背って事は十分にやりそう
な気がします。それにも増して、当時の戦法の「常識」であった
「水際作戦」をアッサリとひっくり返し、「縦深配備」に切り替
えたのですから、当時の幕僚ではブーイングの嵐であった事は
容易に想像が付くこと。

ただ、それを押さえ込んだのが栗林総司令官としての「人事権」
と一兵卒に至るまで細かく巡回指導した功績があるので、誰も
文句は言えなかったと想像が付きます。


さて話は変わって、下に略年表を付記しました。この映画の
最大の欠点の一つは、時間の流れがハッキリしないことなんで
すね。

1944年 6月 8日 栗林中将・藤田中尉硫黄島に到着
      6月15日 米軍による最初の空爆
1944年12月15日 大須賀少将、堀大佐(参謀長)更迭
1945年 2月19日 米軍硫黄島上陸開始
      3月17日 栗林中将・東京に訣別の打電
      3月26日 日本軍最後の総攻撃を決行……

これによれば、3月17日から26日迄の間何をしていたかと
申しますと、この時点で残っていた兵500人を引き連れて
各地を転々としていたのであります。そして米軍が日本軍からの
抵抗が殆ど無くなった24日包囲網を解くのでありましたが、
その翌日の明け方、西部地区の海兵隊露営所を襲撃した……。
この時に、全員階級章等を焼却していたので、米軍は栗林閣下
の死体を特定する事が出来なかったと申します。

享年53歳の生涯で御座いました。何故か死後の昭和42年。
1967年に旭日大綬章を授章されているのでありますが、死
んで花実が咲くものかですよねぇ……。

それともう一つ、この映画で不満があるのは海軍総司令官であっ
た市丸利之助少将の扱いが小さすぎる事。この映画の公開日に
フジテレビ系列で市丸少将を主人公にしたドラマが放映されて
居りましたが、遺族へのインタビュー等を除いてのドラマ部分
は駄作としか言い様が無い出来でガッカリ来ました。
ですが、この方も相当な方でして、死後発見された「ルーズベル
トニ与フル書」と言う手紙は、何と日本語・英語の両方で書かれ
たものであり、1945年7月11日に全米各紙で大々的に報じ
られたのですねぇ。栗林中将とは「和歌」で相通じる仲であった
らしく、時々詠み合わせをしていたと言う記録も残っています。

今回は何時になく脱線が過ぎましたが、映画の切っ掛けを作った
張本人なだけに語りたい事も多く……と言うことで御容赦下さい。
次回は、「一兵卒」の代表……二宮和成さま演じた西郷とその仲間
に焦点を当てて書きたいと思っています。

初代「大河浪漫を愛する会」大倉 里司
(2006年1月1日109シネマズ横浜みなとみらいにて鑑賞)

 

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『硫黄島からの手紙』(第2回〜伊藤編に行く)

『硫黄島からの手紙』(第3回〜バロン西編に行く)

『硫黄島からの手紙』(第5回〜西郷編に行く)

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